星野マナミの旅行ログ&BLゲームレビュー

旅した記録とたまにBLゲームのレビューをします。

ラッキードッグ1+bad eggレビュー

「自分とは何者であるのか」と、誰しも一度は考えたことがあると思う。

鏡に向かって「お前は誰だ?」と問いかけ続けると気が狂うらしいけど、BLゲームをプレイ出来るような年齢になっていれば、今までの人生において「自分はこういう人間である」「自分はこういうタイプである」と、大なり小なり己にラベリングをしたことがあるのではないだろうか。

ラッキードッグ1+bad eggは、2009年に発売されて当時一世を風靡した大人気BLゲーム、ラッキードッグ1の、正統な後継作です。続編ではありません。

そして、公式による「ラッキードッグ1 」の正統なる「全否定」、それが本作でもあります。

1930年代のアメリカ、投獄されている主人公ことジャンカルロが、「仲間と一緒に脱獄を図って、それぞれの攻略相手と共にマフィアのボスの座とハッピーを掴む」と言うところが前作の概要でした。
が、今作はまず「仲間と一緒に脱獄しない」ところから物語が始まります。
脱獄しない、と言うのは厳密には「脱獄したくても出来ない」と言うシチュエーションが原因で、前作ではお馴染みだった「ジャンに生まれつき備わっている筈のラッキー」がほぼ作用していない、という状況からスタートするんですね。これでもかと言うくらい、「ジャンとって都合が悪い」出来事が頻出する。劣悪な環境、磨耗する精神、胃の痛くなるような緊張感。そう言う描写が延々と続いて、前作をプレイしてる人もプレイしていない人も、「一体自分は今何を見せられているのか?」と言う心境に陥ります。BLゲームじゃないのか?
これはもう前作からのルート分岐なんて可愛いものではなく、完全に別の作品になっている。ということだけは、ヒシヒシと伝わって来ます。

そんな得体の知れない緊張感の中、ジャンにとっての決定打となる出来事が起こります。その中でジャンは「死」に限りなく近い極限状態に追い込まれたことで「生」への執着を一度は手放し、文字通り「死に体」となります。精神は死んでしまったけれども身体は生きている、歪な存在となったジャンの元に現れるのが、地獄からの使者、バクシー・クリステンセンです。
今作の攻略相手はたった一人、このバクシーという男しか存在していません。

バクシーは瀕死の状態のジャンから、「タトゥー」と「リング」と言う、「ジャンカルロを表す符号」である重要なアイテムすら剥奪してしまいます。「生前のラベル」を剥がされたジャンは一度「何者でもない」状態になり、改めて「タトゥーとリングを持たないジャンカルロ」と言う人格が「再生」します。但しその人格は前作の、そして今作の序盤で見られた比較的「善性」に近いジャンではなく、限りなく「魔性」に近いジャンです。

ジャンが別人になってしまった。
と言うところから、物語は急展開を見せます。
別人になったジャンは、前作のジャンが見たら眉を潜めそうな行いも平気でやります。単にそうしなければ生き残れないというのもあるけど、一度死んだ身だと言わんばかりのやさぐれた自暴自棄の状態に近い。
しかしそんなジャンから、ふと片鱗を覗かせるのが「政の才能」です。
これは恐らくジャンそのものに備わったパーソナルな部分、概ね血筋に起因するものだと思われます。
但し、前作では本編中に殆ど発揮されることのなかったものです。前作はジャンが「カポになるまでの物語」なので、ジャンの隣には常に誰かがいて、「お前と一緒なら俺は出来る」という、言わば攻略相手によって用意されていた舞台での出来事だったので。
今作ではジャンは誰にも頼らず、おもねず、「俺がやってやろうじゃねえか」という反骨精神のみで、一度完膚なきまでにボロボロになったプライドを再起させ、覚醒を遂げます。
ここまでの怒涛の展開はまさに痛快そのもの。白が黒になり、全てが反転し、「BAD  ENDの向こう側」の景色が見えて来ます。
ここがまず今作の見所の一つです。

一方、今作でジャンの相棒となるバクシーは、前作ではただひたすら「狂人」として描かれていた存在でした。
ブッとんだ言動、人間離れした動き、研ぎ澄まされた戦闘スキル。CR-5を一方的に翻弄する、恐怖の存在。
その原動力が何であるのか、前作ではあまり描かれず謎の多い存在だった彼ですが、今作ではバクシーを紐解くヒントの一つとして「対人スキルの高さ」が判明します。
監獄の中のあの常軌を逸した「自我」の消滅も含め、バクシーの言動はそれだけ彼が「相手が自分をどう思っていれば自分が有利になれるか」を理解していることの表れであり、相手を翻弄する為の意図的なそれであることが分かります。つまり全編を通じて、あの狂気の振る舞いは単なる衝動的な威嚇ではなく(威嚇の意味もあるだろうけど)、彼にとっては至極知的な振る舞いです。怖いだろ。知的な狂人怖すぎるだろ。
それ故に、バクシーという男は絶対的に孤独で、孤立した存在です。皆が皆自分の思った通りに応答し、労せず相手の手札を察することが出来れば、そりゃ退屈だろうと思うし、相手に深入りしようという興味すら湧かない。

ジャンもバクシーにとっては本来その退屈な相手の一人で、当初は単に切り札としての体の良いアイテムだと思っていた筈です。共に脱獄した際の彼の思考は、読み取るまでもなく絶望しか無かったから。 
ところがジャンが再起した後、彼の手札が全く読めなくなってバクシーは混乱します。ジャンの言わば「属性」が変わってしまった原因が、自分の飲みこんだリングにあるとは夢にも思わない。(ここについては後述します)
しかしその破滅的にも思える彼の魔性は、バクシーにとって酷く刺激的に感じられた筈です。
で、やっとここでボーイズがラブするんですけど(?)特筆しておきたいのが

「レイプで恋に落ちない」。

これです。
とかくBLゲーム、ひいてはマフィアやアングラジャンルにありがちなのがレイプで恋するやつですよね。これはもう歌舞伎の見栄みたいなものなのでその是非を今更問うのも躊躇われる程のお約束というか、実際に前作ではジャンは相手からのレイプか、それに準ずる行為でもって恋に落ち、関係性が発展します。
じゃあバクシーはレイプしないのかというと、レイプします。するんかい。
但しその際発生する関係性は恋ではありません。では何なのか。

バディ(相棒)です。

…………。
レイプした相手と相棒になる。それから恋人になります。恋人で相棒ではないんです。まず相棒で、恋人なんです。同じようで違う重要なところです。これは革命的ではなかろうかと。
またこのバディになったジャンとバクシーが無茶苦茶やるんですね。殺し暴力爆破殺し暴力暴力炎上、暴力暴力殺し殺し暴力そしてセックスです。命が危うくなるとセックスし始めるので、見ててハラハラします。
その頃にはジャンとバクシーの二人の他、新しい仲間も増えます。
ジャンカルロと言う男のカリスマが遺憾無く発揮され、バクシーを含め周りの男達がその魅力にメロメロになり、翻弄され、団結し、大きな渦となり、彼らの世界を変えていく。その過程こそが、今作の最大の見所になります。

ただ、残念なことに今作ではそこで一旦物語にピリオドが打たれてしまいます。
肝心のCR-5との全面抗争、と言うところまでは辿り着かず、恐らくそうなるであろう、と言うところで、やや唐突感すら感じるやり方で幕引きとなっています。
これは今作の更に続編があると言うことなのか、単に力尽きて俺達の戦いはこれからだENDになってしまったのか、今後の展開が物凄く気になるところです。
取り敢えず金か、金を払えばいいのか。公式に。

そんな訳で、8年越しに満を持して発売した超大作、ずっとファンだった人、暫くラキドから離れてた人、すっかり忘れてた人、前作をプレイしてない人、そもそもラキドを全く知らない人、パソコンでゲームを暫くしてない人、どなた様もどうかこのラッキードッグ1 +bad eggをプレイして頂きたい。
巨大なカタルシスと脳に悪い汁がジャバジャバ出る、怪物のような作品です。是非一緒に楽しみましょう。


ここからは余談です。
ただの妄想なのでお暇な方だけ見てって下さい。あとクソ長になってしまったのでアフターストーリーについてはまた後日レビュー出来れば。

ところでジャンの側には、生まれつき「誰かが居る」ような気がする。

彼のラッキーは、「それ」によってもたらされているもので、実際はジャン自身のパーソナルな部分では無いのではないか?
そう思わせる要素が、今作では要所要所に散りばめられている。
ただ前作はおろか今作でも劇中で誰も「それ」について明言していない為、(唯一、死神どころではない、という言及をしている人はいる)悪魔なのか、天使なのか、神なのか、もっと別の何かなのか、ジャン自身もユーザーも、現時点で知ることは出来ない。
ちなみにこれ打ってる人は派生全部チェック出来てないので、派生にそれらが察せられるような描写ありました?
あったら是非教えてください。

ジャンの側にいる「それ」は、元々彼にとってのみ独善的で、世間一般的な善悪の判断は無い。悪事でもジャンが「是」とすればそれは「ラッキー」となって発動する。恐らくもっと禍々しいことが実行可能であることも察せられるけど、普段は母親の形見のリングがフィルターとなり、「現象としては凡庸なラッキー」として発動させられるのみになっている。なっていた。前作までは。
リングを一度失ったことで魔性となったジャンのところに、しかしリングは戻って来る。
バクシーの腹の中に留まったまま、ジャンはバクシーという「ラッキー」を「取り戻す」のだ。
疑心暗鬼と絶望に苛まれながらそれでも生きようと足掻く孤独なジャンの元に、同じく孤独であったバクシーが、バクシーだけが残されたのは、やはり単なる巡り合わせ、偶然だけの出来事ではない、のではないだろうか。
以降、ジャンさんのピンチには何度離れても、バクシーは必ず「戻って来る」。献身的に愛情を注ぎ、見返りを求めたりしない。バクシーはバクシーが尽くしたいからジャンに尽くすのだ。控えめに言って最高ですわ。
ただ作中でバクシーがジャンに「捨てないで欲しい」と乞うのは、彼が元々ジャンのことを思い遣れる思慮深さを持っているから、初めての恋に臆病になっているから、ただそれだけ、なのだろうか?
穿った見方をしてしまうと、バクシーはその天性の勘の良さで、無意識下でジャンの俗世とは違う部分を嗅ぎ取っているようにも見える。いつでもこの世界に未練は無いのだと1秒後に彼が言いだしても、自分には止められない、せめて共に連れて行ってくれと願うしかない、ような言動だ。考えすぎだろうか。

また、テシカガが「貴方はウェンカムイなのか、それともシランパカムイなのか」という発言も、単純にジャンの強烈なカリスマ性に当てられての発言にも思えるけど、実際に背後に何か見えているようでもあるし、またその見えているものが「善悪混沌とした判断のつかない何か」である(見る度にオーラが変わる?)ようにも解釈が出来そうだ。
前作では一切描写の無かった、カラスに好かれるという属性も、どこか陰の気、禍々しい方のイメージを彼に付与するし。
これらのことを公式が意図的にやっていない訳は無いと思うんですよね。一切の説明が無いですけど。卵のENDとか本当に意味不明だし。

今作で公式に「全否定」され、生まれ変わったジャンカルロという男には、何が寄り添っているのか。
そして、ジャンカルロという男は果たして何者であるのか。

その謎を解き明かすべく私は南米に飛びたい。
南米に飛ばなくても教えて貰えるなら教えて下さいてんねんおうじ様。お金は払います。